【映画コラム】「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」

aka. Mary Queen of Scots 2018

女性目線で描かれた2人の女王の性と孤独

時代は、16世紀。
舞台は、エリザベス1世がイングランドを統治していた頃。
なんて書くと、ヨーロッパの歴史的背景を知らないと理解するのが難しい歴史映画と思われる。
それが、「男社会に君臨する2人の女性の生き様」映画だと言われればどうだろう。
『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』は、まさに、現代にも通ずる、女性の孤独と、強さや弱さを描いた作品だ。
主人公は、0歳でスコットランド女王になり、幼い頃フランスへ渡り、16歳でフランス王妃に。
その後未亡人となり、18歳でスコットランドに帰国した、メアリー・スチュアート。

もう1人は、メアリーより10歳ほど年上で、当時イングランドのみならず、
隣国スコットランドにも強力な影響を与えていた女王エリザベス1世。
話は、メアリーがスコットランドに帰国したところから始まる。
彼女が、イングランドの王位継承権を主張したため、イングランドとスコットランドの関係が歪んでくる。
そこに、キリスト教のカトリックとプロテスタントの対立という構図も絡まる。
2人の女王は、表舞台では、書簡や大使の派遣など、あの手この手で覇権争いを繰り広げる
一方、プライベートでは、女王の座や権威を保つために、対照的な行動をとる。
エリザベスは、「私はイングランドと結婚した」と独身を貫き、「私は男よ」とまで豪語して、重臣達を従える。
対してメアリーは、政略結婚は拒否、自由に恋愛し、世継ぎを産むことで権力を増大させようとする。
映画序盤で、2人の女王様は、男達を巧みに操り、女の強さ、武器を存分に見せつける。

時に自ら銃を手に取り、騎乗して戦隊の指揮を取ったりもする。
しかし、雲行きはどんどん悪くなっていく。
男達が王座を狙い、策略し始めるのだ。
若く、闊達だったメアリーは、その寛容な態度や奔放さ故に失脚へと追いやられる。
女性蔑視な宗教者によって、不倫や自由恋愛の為に夫も殺害する悪女だとゴシップを流され、国民の敵にされる。
さらに、形勢の悪くなったメアリーは、無理矢理、元の臣下と結婚させられてしまうのだ。
エリザベスもまた、最初は自分の恋人を政治に利用しようと、メアリーの結婚相手として差し出したりする。
が、天然痘の病に倒れると、容姿や求心力の衰えとともに弱気になり、
家臣達は勝手に、エリザベス後の継承権争いを盾にスコットランドの内乱に手を貸したりする。
メアリーもエリザベスも、男性達を従えてはいたが、その実、男達に翻弄されていくのだ。
特にメアリーは、スコットランドの内乱から逃れる為に、息子とも離れ離れとなり、
最終的には、息子の即位の確約と引き換えに退位を余儀なくされ、1人、国から逃れるのだ。
映画終盤に、とても印象的なシーンがある。
2人の女王が極秘に密会する場面。
これは、史実にはなく、映画による架空のものだが、
実際似たような内容の書簡を送りあっていたという記実もある。
そのシーンでは、それぞれが唯一の女王と罵り合ったりするが、互いの孤独な身の上も吐露されるのだ。
メアリーは、権力を求める男達の画策によって、夫や息子、そして国までも取り上げられてしまった孤独。
エリザベスは、イングランドに身を捧げたが為に、夫も子供も諦め、国を統治しているという孤独。
若くして女王に君臨したという境遇だけでなく、2人は、女性として避けがたい孤独感も共有していたのだ。
これまで、エリザベス1世やメアリー・スチュアートは、数多くの俳優が演じてきたし、映画にもなってきた。
今回の女王達は、どこか女の性の部分をとても繊細に描いた作品のように思える。
メガホンをとったのは、今回が映画初監督となるジョージー・ルーク女史。
イングランド生まれで、ロンドンの主要な劇場において、初の女性芸術監督も務めている。
そんな経歴の持ち主だからだろうか、組織の頂点に立つ女性の責任感や悩みを、
女性目線で、女性特有の空気感を持って表現しているように思えて仕方ない。
歴史上、最も有名といっても良い、2人の女王。
メアリーを好演したシアーシャ・ローナンも、エリザベス1世に扮したマーゴット・ロビーも、
今までにはない、性を意識した女王像をしなやかにかつ、威厳を持って演じきっていたと思う。

【映画コラム】「ハンナ」

aka.Hanna

『ハンナ』魅惑の殺し屋に成長したシアーシャ・ローナンに賞賛と憂慮のため息

映画『つぐない』(07) で弱冠13才にしてオスカー候補となったシアーシャ・ローナン。
最新作『ハンナ』(11) では、16歳の暗殺者に扮し、激しいアクション・スリラーに挑んだ。
才能ある若手女優の新作に、全米の批評家の間では、「魅力全開」との声の一方で、
「作品に難あり」という、相反するため息が寄せられている。

フィンランドの森の奥、
元CIAの父親と2人きりで、プロの暗殺者になるべく訓練を受ける16歳の少女ハンナ。
ある日ハンナは、「用意はできている」と森を後にし、
一人CIAのエージェントへと乗り込んでいく。
ハンナを狙う刺客との駆け引き。
逃走劇の最中に触れたある家族との一瞬のぬくもり。
そしてCIAの凄腕女性捜査官マリッサとの死闘と、
作品全編を通して主演のシアーシャ・ローナンが走り、闘う映画『ハンナ』。
バックに流れるケミカル・ブラザーズのビッグ・ビートが疾走感を加速させ、112分を駆け抜ける。

メガホンをとったのは、ジョー・ライト監督。
ライト監督の作品は、『プライドと偏見』(05) や、
シアーシャを一躍注目の的にした『つぐない』(07) など、
小説原作の落ち着いた時代物というイメージがあったため、
テンポの早いアクション連続の『ハンナ』は新鮮で楽しめた。
無敵の殺し屋に育て上げられたハンナという少女を、
シアーシャは時にサイボーグのように冷酷に、
時に16歳のあどけなさを見せながら巧みに演じている。
「この映画のフックは何と言っても若き才能シアーシャの魅力」と、
New York Magazineでは賛辞の論評を載せている。
その他も概ねポジティブ評価だ。
しかし、シアーシャの演技力には全員納得なのに、
「作品自体はパーフェクトじゃない」と難をつけるコメントが目立つ。
その理由は、微妙に不安定なハンナのキャラクターや場面設定にあるようだ。
Detroit Newsのレビューでは、
「完璧な殺し屋であるはずのハンナが、電化製品に怯えるのはナゼだ」と違和感を伝えた。
Los Angeles Timesも、
「ファンタスティックな世界にしたいのか、超現実的にしたいのか理解に苦しむ」と指摘している。
実際、フィンランドから始まった物語は、
モロッコ、スペイン、ベルリンと場所を移すのだが、唐突感は否めない。
最終的には人の気配ない、荒廃した遊園地での決闘となるため、
現代なのか近未来なのか不確かに映る。
しかしハンナがインターネットカフェに立ち寄る(電化製品に怯えていたのに?) シーンがあるので、
きっとそうかけ離れた世界ではないと想像できる…など、
パーフェクトじゃないと突きたくなる心境もわからなくはない。
将来有望なシアーシャだけに、
そんな矛盾を演じさせては勿体ない、という懸念が多いのだろうか。
かつて、『レオン』(94) のナタリー・ポートマンや、
『ニキータ』(90) のアンヌ・パリローが脚光を浴びたごとく、
「少女×殺し屋」ジャンルの作品にシアーシャ・ローナンがでるならもっと輝けただろう、
という欲張りな要求である気もする。
ハンナの愛読書がグリム童話であることや、
その物語を引用するシーンが随所に盛り込まれているため、
筆者としてはシュールな場面も、
ケミカル・ブラザーズの音楽との相乗効果で映画独自の世界観なのだと割り切れる。
そういったことも全部含めて、
『ハンナ』という作品をアクション・エンターテインメントに仕上げている
シアーシャ・ローナンとジョー・ライト監督は、才気みなぎる黄金コンビなのだと思う。