「人のことばで なやむなんていやだ!」
と断言したのは、
少女漫画・不朽の名作『キャンディ・キャンディ』の主人公
キャンディス・ホワイト・アードレー。
結果的には出会った男たち全てを虜にしていくという
強キャラだったキャンディ。
そんな彼女の芯の強さが垣間見られる名言。
キャンディ・キャンディくらい心臓が強靭かはさておき、
遅咲きさんに多いのが結構な『頑固者』ではないだろうか。
かく言う私がそうだ。
変なところで頑としてヒトの意見を聞かなかったりする。
又の名を、思い込み激しすぎ!ともいう。
そして、後になってあぁ〜また遠回りしちまった…となるのだ。
大学の学部を間違えた〜と失意の私であったが、
捨てる神あれば拾う神あり。
大学在学中、ひょんなことから某公共放送局でアルバイトをすることになった。
これがなんとも性に合っていて楽しく、毎日のように通った。
担当は地上波夜9時NEWS番組のエンディング。
生放送故、尺が余ればエンディングコーナーにニュースを1本増やし、
尺がなくなればお蔵入り、という尺調整ニュース作成である。
ロイター(英)や、AP(USA)、AFP (仏)などの
海外通信社から入るニュース・ソースから1ネタを選び、
短めに映像と原稿をまとめておくという作業。
これを編集さんと組んで1人でやる。
もちろん原稿はチーフのチェックを受ける。
ティキティキティキっと特別なFAXから絶えずプリントOUTされてくる
(現代ほどwebは発達していなかった)
英文記事を拙い英語力で解読し、
何台も並ぶTV画面を見比べ、
そこに映る異国の映像たちからネタを探る。
大学の講義終わりで直行し、
選考した1本のニュースを時計と睨めっこしながら速攻作る。
スリル満点。
LIVEでアナウンサーが読み上げて、
映像とビンゴで流れた時の快感はたまらなかった。
そうこうしているうちに某公共放送局では
衛星放送が本格化し、
夜9時NEWSのチーフに誘われ衛生放送局へ共に移動した。
後に、そこでは特別番組のチーフや、
ドキュメンタリーの企画なんぞも任され、
自分名義の単発番組やコーナー枠を数本制作することになる。
しかし、その裏では「判断が遅い!!」事態が発生していた。
時は過ぎ、大学4年になっていたのだ。
そこまでどっぷりTV業界に浸かっていたなら
TV局に正式に入社すべく徹底的に就職活動するべきなのだ!なのに…
あぁぁぁ振り返るだけでも『私ってバカ』。
今が楽しいんだからこのままでいいじゃん(?)
精神で就職活動もそこそこに某公共放送・衛生放送局出入りの
フリー契約制作者って宙ぶらりんなママ居座ってしまったのだ。
周りのみんなは、
「シズカちゃん、せっかくいいバイトしてるんだから、
普通の企業とかも受けとけば? きっと受かるよ〜。」
「せめて地方局も受けてみるとか、TV制作会社にも履歴書出すとかさぁ〜。」
という、今思えば、有り難〜いアドバイスを聞き入れず、
「いいのいいの。今度さ、
今やってる番組のエンタメ情報コーナーでインタビュー任されたんだ!
ロケ三昧で忙しいの!」などとスルー。
ついには大学卒業間際、
見兼ねた当時の番組プロデューサーが、
「某公共放送局直系子会社の正社員にならないか?」
とまでスカウトしてくれたのに、
「いえ、今のフリーな身分が好きなんです」と固辞。
(あちゃちゃお子ちゃますぎる泣)
詰まるところ私は、
『フリーで活躍する自分=カッコイイ』
という変な思い込みに囚われていたのである。
会社という組織には縛られない、
やりたいことだけをやるのだと。
(今思えば、ホントにお子ちゃまだった)
そして何を思ったか、ふと演技指導を本気で習いたいと思い立つ。
血迷っている(?)…
本当のコトを言うと、
ドキュメンタリーなどを撮っている時から、
もっと演出についてじっくり知りたいと思っていた。
なんせニュースのアルバイト上がりのディレクターだったから。
礎というか、
基本的なことが抜けているみたいで嫌だったのだ。
(昭和の頑固者)
ただ、習ったところでその先どうするのか、
一体何者になりたいのかはわからなかった。
後先考えず、
誰にも相談せず、
私は突然、
ディレクター辞めます!宣言をした。
「人のことばで なやむのなんていやだ!」とばかりに、
周囲の心配をよそに。
御年28歳の春であった。
第3回へ続く….
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