【ブログ: 最近、携帯電話がデカ過ぎる件について】 〜巨大携帯でアラフィフはひがむ〜

【ブログ: 最近、携帯電話がデカ過ぎる件について】

 

〜巨大携帯でアラフィフはひがむ〜

 

 

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iPhoneを新しくした。それがバカでかい。

 

なぜこれほど携帯電話はデカくなったのか。

 

そして、なぜデカい携帯電話を持った私はひがむのか。

 

順を追ってお伝えしよう。

 

 

私は長らくiPhone SEを愛用していた。

 

が、年々バッテリーの持ちが悪くなっていた。

 

アップルストアで調べてもらったら、故障ではなく経年劣化と診断された。

 

バッテリー交換をするより、数千円で手に入るモバイルバッテリーを買う方が安いと言われ、その通りモバイルバッテリーを持ち歩くようになった。

 

 

そのうち、モバイルバッテリーが手放せないくらいバッテリーの減りが早くなり、遂には電源が入らなくなって、iPhone SEは永眠した。

 

 

近々こうなるかもと虫の知らせがあり、Macへのバックアップを小まめにしていた。

 

お陰でデータ紛失は免れたものの、やはり携帯がないのは不便だ。

 

 

昨年末、不覚にも携帯電話のない年越しをして、電話回線皆無の日々を経験したが、それは山奥での話。どこか現実味に欠けていた。

 

都内にいて、自宅の電話もあるというのに、携帯電話がないだけでなぜか寂しい。

 

落ち着かない。

 

真っ黒でうんともすんとも言わぬ小さな機械が無性に気になる。

 

せわしない日常の中、携帯電話はもはや側にいて欲しい相棒なのだ。

 

 

「全く、デジタル漬けだな」と省みる隙もなく、私はアップルストアへと走っていた。

 

 

SIM free携帯を使っていたので、同じく現在のSIMをとっとと入れ替えるためだ。

 

 

さて、その器をどうするか。

 

目の前には、最新機種のiPhone 11シリーズが並ぶが、どれもお高い。

 

それ以外はというと、iPhone8か、iPhone XRしか販売されていなかった。

 

 

急な出費だし、予算的にはiPhone XRがギリギリの線だ。

 

私は、11の一歩手前であるXRを購入する事にした。

 

 

これが。。。。本当にデカい。

 

元来、小さくてスマートなSEに満足していたのだから、そのデカさに一瞬たじろいだ。

 

 

「これじゃ、80年代じゃないか!」

 

買っておきながら突っ込むのも何だが、思わず口にしてしまった。

 

 

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かつて、携帯電話はデカかった。

 

車体電話といって、車に携行されていた電話など、家電話の子機より大きかった。

 

(しかもトンネルへ入ると通話が切れたりした)

 

それから、進化して、進化して、二つ折りになって、手のひらサイズになって、

 

首から下げても支障のないほど小さくなった時代もあった。

 

それがどうだろう。最近は大きくなる一方で、傍目から見たら退化している様にも思える。

 

 

実際は、スマホになって出来ることが増え、写真なんか凄く鮮明になり、より高度な技術が組み込まれているのだろうが、何より大きくかさばるサイズ感が嫌だ。

 

 

先日ママ友と、昨今の携帯電話はなぜデカいのか?について井戸端会議をしていたら、

 

つまるところ、話すより画面を見る方が多いからではないか、という答えにたどり着いた。

 

 

確かに。喋っているより、画面を凝視している時間の方がはるかに長い。

 

耳元に持っていかなかったけれど使いまくった、そんな日ばかりだ。

 

メール、line、SNSのチェック、電子マネーに数々のポイントカードアプリ。

 

最近はお薬手帳スマホの中。

 

我が子の予防接種の進み具合も携帯に収まっている。

 

なんというデータ量。

 

 

それゃあ大きい方が見やすくて良いだろう。

 

 

しかし、世の中にはタブレットというものもある。

 

私はiPadでモノを読んだり、書くことが多い派だ。

 

子供の見守りをしながらの物書きには、どこでも移動可能なタブレットがちょうどいい。

 

 

ただ、これを外に持ち出して歩くとなるとやはり重い。

 

そこで、タブレットの3分の1くらいのスマホが誕生するわけだ。

 

話をするには大き過ぎるが、画面は見やすく、

 

鞄に入れて持ち運ぶと考えると小さい。という。。。

 

 

道理はわかるが、それにしてもiPadの3分の1というのは如何なものか。

 

いっそのことイヤホンマイクを使って、iPadで話す方が潔いのではないか?

 

今、ポツポツと文字を打っているiPadの横に並ぶ、巨大なiPhoneを見て、

 

このデカい携帯を買ってしまった自分に、少々嫌味を言った。

 

 

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そして私だけだろうか、

 

「大きな携帯電話=らくらくホン」という図式が頭から離れないのは。

 

 

ガラケーと呼ばれる携帯電話が一般的だった時代に登場した、らくらくホン

 

お母さんが持っていた携帯のイメージ。

 

数字盤も、デジタル画面の文字もやたら大きい。

 

 

そう、今、大きなiPhoneを持ち、

 

文字拡大バージョンで操作している私は、

 

紛れもなくあの時のお母さんだ。

 

 

手元にあるのは、その昔、「えーっと」と言いながら母が操っていた、らくらくホンと瓜二つ。

 

 

「はぁ、私もあの頃のお母さん世代になってしまったという事か。。。」

 

そう、コレが、巨大携帯を持って悲しくなってしまった一番の理由だ。

 

 

いやいや、世の中の携帯電話の主流がこの大きさなのだから、何もひがむ事ではない、個人的な妄想だと思われるだろう。

 

事実、電車の中では、大きな画面をスルスルこすっている人ばかりだ。

 

 

それでも敢えて、iPhone SEを使っていた自分が好きだったのだ。

 

デザイン重視の携帯電話を持ち続けるところにプライドがあった。

 

しかし、本当のところは、終盤、文字が小さくて、老眼が入ってきた私の目では追えなくなっていた事がどうにも切ない。

 

 

車の運転や、遠くを眺める時は眼鏡をかけているのだが、手元の小さな文字を見るとピントが合わなくて、思わず眼鏡をずらす。

 

あぁ、これはお父さんの仕草だ。

 

 

若い頃、歳はとりたくないねぇと眺めた光景が、自分と重なる現実。

 

「受け入れろ、受け入れろ」と私は念仏のように唱えた。

 

 

 

アラフィフのやせ我慢、一方的で独断的なバイアスによるひがみ、なんと言われようと、このバカでかいデザインだけは頂けない。

 

そう思う人は私だけではないようで、

 

最近、話す事とメール機能だけを持った小さな携帯電話があることを広告で知った。

 

値段はiPhone XRの半額ちょっと。

 

 

携帯電話は小さく、を全うするなら、

 

そのミニマムスマートな携帯とiPadを持ち歩く。

 

そうすべきだったのかも知れない。

 

スマホ決済や、ポイントカードアプリ機能はなくなるとしても、である。

 

 

実際は、、、らくらくホンチックなiPhoneの見易さの恩恵に預かっている、お母さんな私が存在する。

 

思わず、巨大なiPhoneを忌々しく横目で眺めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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