【50のエグミ】『迫り来る50の砦~変わりゆく容姿と変わらぬファッションの謎が解けた~』

【50のエグミ】その①

 

『迫り来る50の砦~変わりゆく容姿と変わらぬファッションの謎が解けた~』

 

 

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49歳と50歳の間には、とてつもなく屈強な砦がある、と私は思うのである。

 

 

もうすぐ50になる。

 

昔描いていた50歳、それはもう、

 

おばさんを通り越してお婆さんの域に達していた。

 

それがいま、目の前にある。

 

まるで巨大な鉄壁のよう。

 

この一線を超えるのは、肉体的に相当堪えそうだ。

 

その倍、精神的に怖くてたまらない。

 

 

しかし、どうだろう。

 

私はまだ30代の頃に買った服を着ているし、(肉幅的に余裕のある物限定で)

 

なんなら、20代の子が群がるshopのsaleを熱心にチェックしたりしてる。

 

同い年の子供がいるママ友の平均年齢は30代後半だ。

 

 

戸籍の年齢とは裏腹に、

 

私の精神年齢やファッションは、50−1に到底及んでいない。

 

 

それが、49歳まではなんとなく許されていたのが、

 

50歳を超えると、一斉捜査を喰らって即OUT、

 

30代気分の世界からの即刻退場を宣告される様で、実に怖いのである。

 

 

私にとって『50』という響きは、それほどの破壊力があるのだ。

 

 

 

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今でこそ、アクティブシニアの到来。

 

人生100年時代、50なんて折り返し地点だといわれるが、

 

 

そもそも私は人生100までとか、そんなに長く生きたいと思っていない。

 

若々しいウチに散りたいと思っていたクチなのだ。

 

だから、自分が「シニア」に足を突っ込んでいるなんて自認したくないのだ。

 

 

それでも、無慈悲に月日は私の前をチクタク流れ、

 

50までのカウントダウンは止まらず、

 

年が明けて、2021年2月のとある日、秒針がカチっと12を回れば、

 

私は正真正銘50になる。

 

 

多分、あっけなくその時はくるのだろう。

 

しかし拷問は、ジワジワと私を苛むはずである。

 

だらだら生きてきてしまった罰とでも言おうか。

 

 

無理矢理、囓ることになる50の洗礼。

 

非情の果実の味は、きっとこの上なくきわどく、冷酷で、

 

アクの強いものなんじゃないだろうか。

 

 

私はどんな気分になるのだろうか?

 

 

恐れのあまり私は、

 

今のうちに、49歳のうちに、

 

イメージトレーニングしておいて

 

ショックを和らげておいた方がよいのではないだろうか?

 

そう思い始めた。

 

 

となると…私は今すぐクローゼットに溢れる

 

この愛すべきファッションたちとおさらばしなければならない。

 

 

表参道や神宮前で買った服ではなく、巣鴨あたりで仕入れた服を着るのだ。

 

ショーツも腰ではくものから、お腹をぐーんと囲むでかいものにチェンジ。

 

部屋着はH&MのショートパンツとTシャツではなく、

 

どこかの商店街で手に入れる、

 

母が「アッパッパー」と呼んでいたようなワンピースにする…。

 

 

あぁぁ、絶望的だ。私は頭を抱え込む。

 

 

この肉体にその格好。どこからどうみても絵に描いた50歳ビンゴではないか。

 

 

「はっ!そういうことだったのか!」

 

 

私は49歳の脳みそで、

 

50歳のイメトレをした時に、ようやく気付いたのだ。

 

 

なぜ、気ばかり30代のファッションで、

 

この19年間を過ごしてきてしまったか?という事に。

 

 

どうしてこれほど49と50の境目に恐れ慄いているのかに。

 

 

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今書いた通り、全ては「気ばかり30代」だったのだ。

 

 

鏡をよーく見ていれば、私の体が、

 

少しずつ変わっていたことに気づくべきだった。

 

それこそ秒単位で。

 

微妙に垂れ、微妙に膨らみ、微妙にずれていたことに。

 

 

30過ぎから19年間ほったらかして、野放しにして、

 

40過ぎて子供を産み、引き締めるどころかまた産んで、

 

緩めっぱなしに甘やかした。

 

 

その結果が、この脂肪の重ね煮である。

 

肉体は、とっくの昔から50アラートの警鐘を鳴らしていた。

 

 

にもかかわらず、

 

周りのママ友が若いのにつられて30代気分を引きずっていたのだ。

 

まだ着れる。あら、可愛らしい。と

 

己の体型を顧みず、若い子ファッションを次から次に取り入れた。

 

 

瞼の筋肉が衰えて、

 

まつ毛が埋もれてきたら、

 

エクステして目元をごまかした。

 

 

白髪を発見したら、

 

パーツカラーで髪色を変え、

 

赤くしたり、青くしたり、年々頭を派手にした。

 

 

お腹周りが張ってきたら、

 

ゴムのスカートに、

 

ハイウエストのワンピース、

 

チュニックとレギンスの組み合わせと

 

隠して、覆って、真実を捻じ曲げてきた。

 

 

小手先のマジックばかりを磨き、

 

根本的な肉体を置いてきぼりにしてしまった…。

 

 

最初は鈴虫程度だった50アラートの鐘が、

 

蝉の声になり、高架下の騒音になり、

 

耳元の目覚まし時計ほどけたたましくなって、

 

ようやく恐怖を悟るに至った。

 

 

私は50の砦を、自分自身で育てていた訳だ。

 

自身の肉体ラードと共に。

 

 

「よくもまぁ、ここまで立派にしたものよのぉ。」

 

 

変わりゆく容姿と変わらぬファッションが作り上げた

 

50の鉄のぶ厚い扉。

 

脳みそと肉体の乖離がもたらした悲しい砦。

 

 

どうやって開けたら良いのやら。

 

 

一晩寝て起きたら、

 

パタリと着るものを変える…気にはどうしてもなれない。

 

なれそうもない。

 

 

だとしたら、今度は開き直ってしまうしかないのだろうか。

 

 

「49のあがきよ。もう今しか着られないんだから」

 

と言って着飾っていたのを…

 

 

「50のエグみよ。もう放っといて」ってくらいに。

 

そうやって、図太く生きていくしか、ないのかな…。

 

 

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