「判断が遅い!!」 と言ったのは、『鬼滅の刃』の鱗咲左近次さんだ。 名言だ。 仰る通り。 人生、毎秒、毎瞬、判断だらけ。 少しでも油断しようものなら、 炭治郎のようにボコボコにやられてしまうのだ。 私は炭治郎なんかとはくらべものにならないくらい。 いや、人類最遅に近いくらいいつも判断が遅かった。 ブランコから降りるタイミングが遅く、頭っから落下する、それくらいの遅さ。 だから義務教育が終わる頃には、その判断の遅さが致命傷になりつつあった。
初めての人生の岐路である高校受験。 時代はBOWYだ!プリプリだ!REBECCAだ!のバンド全盛期。 ご多分にもれず私もコピーバンドに片足突っ込んでいた。 (構成から選曲までREBECCAのマネ)。 で、そっちが楽しくて志望校なんぞ決められず、 訳もなく高望みをしたら落ちた。 (遅咲きさんにありがちなちょいプライド高めってやつですよ) ぐずぐずしていたら先生が推薦する自分の性格とは真逆の 『良妻賢母』思想の女子校に行くハメになった。 泣く泣く通った。 その時からだ。 『いやいや、私、人生遅咲きなんだ。今は助走に過ぎない』 と開き直る癖がついたのは。
結局、高校はろくに通わずバンドに明け暮れた。 ただ、塾だけは欠かさず通った。 勉強が嫌いなわけではなく、学校という体制が嫌いだったのだ。 (思春期によくいる面倒な女の子である) そのおかげ(!?)かどうかはわからないが、 そこそこの大学に入ることになる。 が、これまた実は判断が遅く、中途半端だったと言わざるを得ない。 幼稚園の頃からピアノを習いバンドを組むほど歌が好き。 (キャンディーズはランちゃん派。ピンクレディーはケイちゃん推し。) 小学校でおかしいと言われたお絵描きのセンス、 中学では美術の先生から好評価。 音楽や絵を描くのがホントーに好きなら 高校受験に失敗した直後より即座に判断し、 芸術系の大学を目指せばよかったのだ。
ところが、私が選んだ大学の学部は…経済学部。 当時はバブル全盛期だったから、なんとなく経済だな! などと雰囲気で決めたのだ(頭が弱すぎる)。 経済やっときゃ、金に困らんのでは? という浅はかすぎる考えだった。
良妻賢母女子校からの大学受験は それなりに大変で、ピアノは自然消滅。 バンドも脱退。 一瞬芸術学部もチラついたが、時すでに遅し。 デッサンなどの基礎力などまるで学習していなかったので 受験すらしなかった。 手っ取り早く稼げそうな経済学部に目が眩んだのだ。
しかして、その希望は株式論初日の講義で瞬時に打ち砕かれた。 教授が開口一番こう言ったのだ。 「いいですか諸君。景気の気は気分の”気”ですぞ。株なんぞ所詮人の気分次第…」 えぇぇぇぇぇぇぇ!!!! アダムのスミスだのマルクスだの、 なんか小難しそうなおっさんたちの崇高な話を聞くのかと思いきや、 経済(景気)とは人の気分次第なのか~!? 続けて耳に入って来たのが、 「…乱高下という言葉がありますが、それというのも人間の暴走を反映し…」 その後はなんと言っていたのか覚えていない。
とにかく、その教授のたとえ話1つで一気に経済を学ぶ気力を失った。 『いや、人生遅咲きだから…』と、 またまた私はフラフラ大学の勉学から離れてしまった。 そんな時、校舎から流れて来たのは ウクレレの調べ。 私はハワイアン同好会に席を置いた。 (中途半端な)
バンドや絵描き、経済も詰まるところかじっただけ。 大学4年間で得た知識は『世の中所詮人の気分次第』ってこと。 (ある意味哲学的だけど) まぁ、判断が遅く遠回りしてる分 手広くはなったがどれもハンパなく浅い。 そして、経済学部を卒業する頃にはすっかりバブルも影を潜め、 待っていたのは’就職氷河期’。
こんなことなら、 心底やりたい学部にして没頭しておけばよかった。 「判断は遅かった…」 次回へつづく...
WordPress コメントの投稿者
こんにちは、これはコメントです。
コメントの承認、編集、削除を始めるにはダッシュボードの「コメント画面」にアクセスしてください。
コメントのアバターは「Gravatar」から取得されます。