「この一球、常にそれだけでよろしいのよ」
なんとも世を達観したこの台詞の主は、
スポ根少女漫画の金字塔『エースをねらえ!』の竜崎 麗香嬢。
その一言一句がとても高校生とは思えぬお蝶夫人(てか、未婚で夫人!? )は、
いつも主人公ヒロミをビシっと名言で励ました。
そんなヒロミが、実はとんでもない未来モンスターだったことが判明し、
麗華嬢は潔くその成長にエールを送るという。
外見も内面も非の打ち所がない出来上ってる女性。
いつからお蝶夫人は夫人になったのか、
お蝶夫人の半生外伝でも十分1本の映画になりそうだ。
そして強い女性の憧れ対象も、そのファッション含め、
ズバッと名言で華麗なお蝶夫人か、
ボーイッシュな緑川蘭子(通称・加賀お蘭)かで別れたっけ…。
(加賀のお蘭って…忍者かよ!)
誰もが『私もヒロミかも』なんて淡い期待を抱き、
テニスを始めては、挫折したことでしょう。。。。
宗方コーチ派か、藤堂くん派かでも別れましたね。
さておき、私にとってはT Vの世界にいた時、
演出をしていた時こそ『その一瞬、常にそれだけ』でよかった。
そう気づくのはずっと後になってからだったのだ。
19歳そこらでTV局に潜り込み、
ロクに就職活動もせず、
フリーのディレクターを気取っていた小生意気な20代。
怖いもの知らずとはまさにあの頃の私だろう。
私の独り立ち外ロケ・デビューは、
第8回東京国際映画祭の特集だった。(1995年!! 四半世紀以上前だ)
う〜んと年上のカメラさんと音声さん、
同い年くらいの若いキャスターさんとキャピキャピ騒ぐディレクターの私、
という布陣で渋谷のBunkamuraに乗り込んだ
(当時は渋谷だった。後に六本木ヒルズが会場となる)。
そこで立ちレポを撮ったり、
映画祭のお偉いさんやなんかにインタビューしまくったのだ。
一丁前にカメラアングルまで指示したりして(!!)
今思うと背筋が凍りそうだ。
ニュースからトーク番組へ、
その後ドキュメンタリーに移行してからは、
やれN Yだ、香港だ、コスタリカだ〜と
フリーの身分で海外長期ロケにガンガン出させてもらった。
にもかかわらず、である。
子会社入社の誘いを断ってのディレクター辞めます宣言。
いや、それだけ広い世界を見させてもらったからこそ、
自分の小物さに気づいたとも言える。
とにかく、恥じない何かを手に入れたかったような気がする。
ホントは目の前の一球を返す。
常にそれだけで良いのだけれど。
もっと大きくなりたい、なれる!
なんて思ったんだろうか?
あのイケイケの頃の心境なんてもう忘れてしまった。
(ただ、遅咲きさんて、
自分で自分のハードルを高く掲げちゃうところ、ない?)
私は、当時憧れていた劇作家で演出家・岩松了氏の
ワークショップのオーディションを受けた。
イケイケ感が残っていた私は運よく受かる。
そこで1年間みっちり修行することになった。
演出と演技を交互にやったので、演技もした。
(小っ恥ずかしさを脱ぐことができずにいる自分がもどかしかった。
もっと人の意見を素直に受け止め、ただ自由に身体を動かせばよかった。
分厚い人見知りの壁を打ち破れなかった。涙)
岩松さんは、日本の演劇界を代表する岸田國士戯曲賞を受賞された方だ。
シナリオでは読売文学賞も受賞されている。
岩松演出の何が凄いかって、普通をフツーに切り取る感覚。
「人間てね、普段そんなに劇的に動いてないの。もっとフツーなの」
岩松さんにそう教わった。
ミュージカルみたいに急に歌い出すのが「おかしい」と思っていた
(宝塚ファンさんごめんなさい)私は当時、
岩松演出が最高にイケてると思った。
[竹中直人の会]を下北の本多劇場に毎回見に行っていたクチである。
(後に映画を学んだ私はすっかりミュージカルが好きになるが…)
ふとした日常なのに、
なんだかちょっとずつズレちゃっていく人間のおかしさや
可愛らしさを劇で表現するなんて、素敵すぎる。
私は、毎週のワークショップに入魂する日々を送った。
しかしだ。
いくら頭の弱い私でも1年足らずで気付き始める。
この中から真の演出家や俳優になる人など一握り、いや1人いるかいないか。
『遅咲き』レベルではない。
ワークショップが終わったら…無職だ。
スローで気まますぎる人生。
どうするつもりだ、私。
三十路手前になってどうやり直す?
今はただ目の前のワークショップ、
「この一球、それだけでよろしい」けれど…。
次回へ続く…。
Leave a Reply