「あきらめたらそこで試合終了」
と言ったのは、『スラムダンク』の安西先生だ。
漫画史・アニメ史に残る名言すぎる名言。
これ以上ない金言。
この名言、漫画では2回登場するそうです。どちらも名シーン(涙)。
1回目は、後で詳しく紹介するけれど、
「安西先生。バスケがしたいです」で有名なミッチーこと三井君に放った
「あきらめたらそこで試合終了だよ」っての。
私は2回目の方。主人公桜木に、絶体絶命の試合中ベンチでひょっこり
「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」と言うシーンが好き。
さておき、『遅咲き人生』に試合終了なんてあり得ない。
いやいや、終わりませんよ、まだまだ。そうですよね。
29歳で無職となった私。
やっと真面目に就職活動を始めた。
その歳になってやっと’正社員’という肩書きには
後光がさしていると思った。
毎月ちゃんとお給料をもらう。
なんて凄いことなんだろう。
お父さんて偉いんだ。偉い人だったんだと。
定年間近まで勤め上げている父を仰いだ。
働かねば、生きていけぬ。
銭を稼がねば。
しかし、どうやって?
私のウリってなんだ?
大した大学を出ていないから学歴など武器にならない。
唯一言えるのは、
某公共放送局での職歴と岩松了氏の元で得た演出論。
ならやはりエンタメ業界しかなかろう。
「あきらめたらそこで試合終了」にはさせないぞ!
銭、稼ぐぞ! と鼻息を荒くしてみたら、
なんと運よく某麹町(現汐留)にある東京民放キー局が拾ってくれた。
ダメ元で受けたキャリア入社試験だった。
基本的な学力テストや幾度かの面接に加え、
向き不向きというか職業適正診断のようなもの。
プラス、時間内に新ドラマのCMを編集して創る、
という実技試験があった。
正社員になったことのない私にとっては、
会社組織がどんなものかわからなかったので、
「どうせ無理」感があった。
なら「楽しんじゃおう。目一杯遊んじゃえ」とヘラヘラ受けた。
よく言えば肩の力が抜けていた。
覚えているのは、職業適正診断で、
色々な図形が書かれていて、
「この図形に線を足して何かを表現してください」ってお題で、
◯の中に顔を描いて[ぶさいくな赤ちゃん]ってタイトルをつけたり、
四角の中には鼻水垂らした肖像画を入れて[小学生の歴史の教科書]とか、
真面目に遊んだ。
実技の新ドラC Mでは、確かモックン(本木雅弘さん)が警察官役のドラマだったが、
尺の半分、モックンがシャワー浴びてるシーンで埋めた(ドラマの内容すっ飛ばし)。
「何故です?」と試験官に問われ、
「F1 (20歳~34歳の女性層のこと)が欲しいのはジャニーズの半裸(はんら)ですよ!」と力説した。
絶対落ちた。と思ったら、受かった。
某TV局初の女性キャリア入社などと就職雑誌でもてはやされた。
しかし、お分かりだろう。
就職はゴールではない。
スタートだ。
『人生が薔薇色に咲いた』訳ではない。
(遅咲きさんは、実力を認められてこそ満足するのであって、
内心やっていけるのかバクバクでしかなかった)
入社即、私はゴールデンの老舗バラエティ番組でシゴかれた
(ダーツで日本全国の村に飛ばされるやつ)。
同時に深夜枠ではコント番組や街歩きバラエティ、
トーク番組やらを創る、の繰り返し。
目の回る忙しさだった。
が、入社3年目の中頃から雲行きが怪しくなった。
言うなれば化けの皮が剥がれてきたってことか。
確かにTV業界でそれなりにモノは創ってきた。
だから作れ、と言われれば、それなりに造れる。が、
コンマいくつの視聴率を争う民放でしのぎを削ってきた訳じゃない。
そして、今いるTV局では、最初から視聴率のいい番組、
枠が用意され、お膳立てしてもらった中で泳いでいただけ。
「そろそろ独り立ちしろよ」と、
ちょい苦戦の続くゴールデン枠の新番組へ投入された。
イコール、数字を上げてこいということだったが、
これが見事な低空飛行。
3年間の内に出した企画書は全部ボツ。
キャリア入社しておきながら、ヒットの一発も飛ばせないとは!
4年目突入の際の社長面接で私は戦力外通告を受け、
あっけなく子会社へ追いやられた。
『いやぁ~、私、遅咲きなんで』
同僚やら、後輩やら、先輩やら…
あらゆる社内の好奇の眼差しに笑顔で応えて心で泣いた。
なんてったって社内初だった女性キャリア入社さんは、
一気に地に落ち、出世コースはおろか、子会社生活ですから。
そして私は安西先生の言葉を歪曲して解釈した。
安西先生的に言えば、最初に言い放った時は確か、
「最後まで…希望を捨てちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了だよ」だから、
その場に留まり、腐らず戦えって意味なんだよね。
2回目だって、どんなに負け越していても、
コートから去るな。諦めずにコートへ戻れ、ってこと。
なのに、私はコートから離れる方へと向いてしまった。
耐えていたら本社復活だってあったかも…(!?)
それはどうかわからないが、
私は子会社を2年勤めたところで、
沸々と辞めたい病に取り憑かれた。
もうガラスのハートは粉々だった。
「人生諦めたら終わりだ!ココで終わらせるものか!」と、
事もあろうか国外逃亡を謀った。(!!)
コンプレックスだった英語力と
大学院卒の学歴を両方getしようと、
英国留学を思いついてしまったのだ。
そうして、私はTV局というコートを去った。
(むむむ、この展開、
なんだか前と同じではないか⁉︎
TV業界→突然辞める→夢を追う…なんという反復)
御年34歳。
結婚までし、
そろそろ中年に差し掛かろうかという年頃。
スローにも程がある。。。
次回へつづく。
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