【映画コラム】「マネー・ボール」

aka. Moneyball

アメリカンドリーム抜き、敗北感が魅力のスポーツ映画『マネーボール』

ベースボール・ムービーはハリウッド・スポーツ映画のドル箱と言われている。
80年代半ばから90年代にかけて、メジャーリーガーを題材にした感動作が多数ヒットした。
そして今、ベースボール・ムービー最高傑作のひとつと賞賛されているのは、
選手ではなく、球団GMを主人公にした『マネーボール』だ。
メジャーリーグの内幕や非情さも垣間みる事のできる作品だが、
好評の所以は、これまでのスポーツ映画にはない、
共感できる人生観にあるのかもしれない。
この映画は敗北のシーンから始まる。
2001年、オークランド・アスレチックスは、
ニューヨーク・ヤンキーズに敗れリーグ優勝を逃す。
貧乏球団アスレチックスは、
スター選手を次々と他所に引き抜かれ、
弱小と化すしかない状況だった。
そこで、ブラッド・ピット扮するアスレチックスの若きGMビリー・ビーンは、
型破りな理論を実践し、球団を奇跡の常勝軍団へと導くのだ。
大抵のスポーツ映画なら、敗北から始まると、
その後ひたすら勝利へ突き進むとか、
主人公が挫折を乗り越え最終的には栄光を手にするといった展開になる。
紆余曲折があればあるほど、最後の勝利の瞬間が爽快でたまらない。
観客がスポーツ映画に求めるのは、
そういった何かしらの達成感ではないだろうか。
しかし、『マネーボール』の場合、その手の達成感は味わえない。
確かに、アスレチックスはリーグ史に残る20連勝を果たすが、
主人公のビリーはちっとも嬉しそうじゃない。
「最後の一勝がなければ意味がない」と黙り込むのだ。
『マネーボール』は、緊迫のゲームシーンよりも、
選手トレードの駆け引きよりも、
このブラッド・ピットの沈黙の方に引き込まれる。
そこが、これまでのベースボール映画とは違うところだ。
ビリーの沈黙から醸し出されるのは、
前人未到の20連勝をしてもなお、
満たされることのない敗北感だ。
それは、自分の人生に対する後悔。
主人公はかつて、将来を嘱望された選手でありながら、
プロ転向後は振るわず、人生を誤ったという悔いがある。
彼にとっての「最後の一勝」とは、
本当は優勝することではなく、
人生でのたった一つの挫折を乗り越えることなのではないだろうか。
ビリーの、過去に対する思いが繰り返し挿入されることからも、
そんな感情が読み取れる。
人生一発逆転といったアメリカンドリーム・ストーリーではないものの、
『マネーボール』が多くの人の支持を得たのは、
何をもって自分は勝ちと思えるのかわからない、
そういう現代人の心理とリンクしたからなのだと思う。
頑張れば報われるとか、
信じればどうにかなるとか、
そんな甘い世界などどこにもない。
それでも、いつかは自分の納得する勝利を手に入れたいと奮闘するビリーの人生観は、
野球を知らずとも共感できる。

ところで、人生の敗北感をどうすれば乗り越えられるのか、
主人公は終わりのない挑戦を続けるのだが、
映画では一つの答えが提示される。
それは、ビリーの娘が父の為に歌った曲だ。
レンカという歌手の「The Show」の替え歌で、
迷える人生だけど、「ショーを楽しもう」というフレーズを、
「パパ、野球を楽しんで」と歌うのだ。
人生をもっと楽しめばいい? 
そうできればどんなにいいだろうか、
主人公のやり切れなさを、
ブラッド・ピットが沈黙の演技で見事に表現している。(工藤静佳)