aka. Ben is Back 2018
ジュリア・ロバーツ渾身の一撃
「母として・妻として・人間として」強さとは何かを考えてみる
母親は、子供にとって完全無欠の存在であろうとする。 しかし、子供の全てを包める訳ではないし、ましてや完璧にもなれない。 切ない存在だ。 子供は子供で、時期が来たら1人の人間として生きる道を進まねばならない。 孤独な生き物である。 母親も、子供も、もっと言えば、人間とは、それほど切なく、独りぼっちなのだろうか。
ジュリア・ロバーツ主演の映画『ベン・イズ・バック』は、 そんな答えの出ない葛藤を、たった1日の出来事の中に凝縮し、私たちに提示して見せてくれる。
郊外の小さな街に住むバーンズ一家は、穏やかなクリスマス・イブを迎えていた。
そこへ、長男のベンが突如家に戻ってくる。 薬物依存症の施設に入っているベンが、急に戻ってきたことに、 事情の分からない異母弟妹ははしゃいでいるが、継父は訝しみ、妹は煙たがる。 ただ一人、母親のホリーだけは、両手を広げて息子を迎え入れるのだった。
昼間、ホリーと買い物に出かけたベンは、昔の薬物依存症の悪友たちに姿を見られてしまう。 街にベンが戻っていることは、容易に知れ渡ってしまった。
イブの夜、ベンを含めたバーンズ家が教会から戻ると、家の中は荒らされ、愛犬が連れ去れていた。 事件が起きたのは自分のせいだと、ベンは愛犬を探しに家を飛び出す。 ベンを一人にできないと、ホリーが後を追う。 母と息子は、愛犬を探す道すがら、ベンが薬物に染まっていった道のりを辿ることになるのだった。
ホリーとベンとの会話で、印象深いシーンがある。
薬物を使用するとき、どんな気持ちだったのかと、ホリーが尋ねるのだ。 するとベンは、『安心できて、、、愛されているのが実感できて、、、幸せな気分になれる。お母さんよりも』とボソッと答える。 面と向かって、薬物は、母の愛を超えると言うのだ。 これほど、母親にとって悲痛な告白があるだろうか。 それを聞いてもホリーは、息子の気持ちをそのまま受け止めようと、平然と会話を続ける。
一方ベンは、そんな母の愛に値しない人間なのだと自分を蔑み、1人で、愛犬を連れ去ったであろう悪友の元へ向かう。 ベンは、愛犬を無事連れ戻せるのか、再び薬物に溺れることはないのか。 スリラーともとれる緊張感と共に物語は進む。
そんな中でも、やはり私が気がかりでならないのは、ホリーの強気だ。 夜中にベンとはぐれてしまった時、ホリーは、夫や娘に心配をかけまいと、 携帯の電話口で『私とベンは大丈夫。じきに帰るから』と、気丈に振る舞う。 「強い母でいよう」と、必死に心をつないでいるように、私には見えた。
しかし、そんなホリーが、結局ベンを見つけられず、 夜明けと共に、夫に電話をかけ『どうしていいのか分からない』と、初めて弱音を吐くシーンがある。 私は、そのホリーの行動にとても惹かれた。 それまで頑なに強がっていたホリーが、心から弱音を吐くのだ。
夫はホリーに、『今、どこにいるんだ。すぐそこへ行くから』とホリーを慰める。
ホリーは1人ではなかった。 夫も、娘も、どうしようもない長男だとしても、 やはり家族として愛し、助けたいという思いは、ホリーと一緒だったのだ。
薬物依存症の人達のミーティング・シーンがあったり、 薬物の過剰摂取で亡くなったベンの元恋人の家族の末路を描いていたり、 この映画が浮き彫りにする薬物による本人や、周囲の人間の苦悩を投げかけているのは十分すぎるほど伝わる。
しかしどうかこの作品を、まずは何の先入観も、設定の社会的な背景も抜きで見て欲しい。 純粋な母子の、自分探しの一夜の旅と、見届けて欲しい。
親として、子供として、あるいは、女として、1人の人間として、どの立場でもいい、 自分は孤独な生き物なのか、周りの人間は自分をどれほど愛しているのかと、 見終わった時に、もう一度問うてみて欲しい。
少なくとも私は、ホリーが、最終的に夫にSOSを送れたことにホッとした。 ホリーは、決して1人ではない。 そして、ベンも、社会から疎外されるべき人間ではないのだ。 薬物依存症であったとして、1日、1日を薬物なしで送ることや、 周囲の家族の愛を感じられたなら、やり直せる可能性は存分にある。
クリスマスの朝、最終的にベンはホリーの元に戻ってくることができるのかどうか、 映画を観て、各々が判断してほしいところだ。 私は、ホリー自身が、家族の愛と、家族に頼る自分の弱さに気づいた時、 ベンもまた、家族の愛に満たされるのだと信じたい。
